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東京地方裁判所 昭和55年(特わ)1695号 判決

主文

被告人佐藤正見を懲役一年に、同佐野誠、同岡部正道をそれぞれ懲役八月に各処する。

この裁判確定の日から、被告人佐藤正見に対し三年間、被告人佐野誠、同岡部正道に対し二年間それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人佐野誠、同岡部正道からそれぞれ金二〇万円を追徴する。

訴訟費用は被告人佐野誠の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人佐野誠は、大井競馬場佐野きゆう舎所属の騎手であるが、昭和五五年一月二一日、東京都品川区勝島二丁目二番二三号右佐野きゆう舎において、電話で知人である被告人佐藤正見に対し、自己が騎乗して出走する予定になつていた同日施行の昭和五四年度特別区競馬組合営第一七回大井競馬第六日目第八競走について、「僕の乗る二枠の馬を買つてみたらどうだ。今回は調子が良いので勝てそうだ。相手は三枠と一枠で、四枠から外はない」旨自己の騎乗予定馬の体調及び右競走の勝敗に関する自己の予想に関する情報を提供し、同月二二日、同区大井一丁目五〇番二八号ホテル阪急前路上において、同人から右情報提供の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金二〇万円の供与を受け、もつて、その競走に関して賄ろを収受し

第二  被告人岡部正道は、同競馬場岡部きゆう舎所属の騎手であるが、同月二〇日、同区勝島二丁目二番二九号右岡部きゆう舎において、電話で知人の被告人佐藤正見に対し、自己が騎乗して出走する予定になつていた同月二一日施行の前記大井競馬第六日目第四競走、第八競走及び第一〇競走について、「俺の馬は、四レースと一〇レースは調子が良いので何とか勝てそうだ。八レースは調子が良くないので駄目だ。四レースでは「オゴトショーリ」が良く、一〇レースでは「シーラップ」、八レースでは三番の馬が強い」旨自己の騎乗予定馬の体調及び右各競走の勝敗に関する自己の予想に関する情報を提供し、同月二三日、神奈川県川崎市川崎区堀ノ内四番地一トルコ姫付近路上において、同人から右情報の提供の報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金二〇万円の供与を受け、もつて、その競走に関して賄ろを収受し

第三  被告人佐藤正見は、

一  昭和五四年九月二八日施行の地方競馬である同年度特別区競馬組合営第一一回大井競馬第五日目の第七競走に出走が予定され、同競走においていわゆる本命馬と目されていた同競馬場曽根きゆう舎所属の競走馬「ハードビクター号」の同競走に関する情報を入手して、自己の勝馬投票を有利にしようと企て、田中邦明と共謀のうえ、同月二七日ころ、東京都品川区南品川二丁目五番九号喫茶店「ニューレンガ」店内及び同店前路上において、前後二回にわたり、右曽根きゆう舎所属の騎手で、右競走において右「ハードビクター号」に騎乗予定の佐藤篤及び同きゆう舎所属の馬丁で、同馬の飼養、管理を担当していた岡堀隆男から、右両名と意思を相通じた右競馬場桜井きゆう舎所属の馬丁中村忠仁を介し、「今日二〇万円くれれば、ハードビクターの馬丁に頼んで塩でもなめさせて水をうんと飲ませるようにする。篤も引張ると言つている。」、「篤は絶対に来ないと言つている。」などと、同馬が右競走において三着以下になる旨の情報の提供を受け、同月二八日、同区勝島二丁目二番二八号同競馬場桜井きゆう舎内の右中村忠仁方居室において、右佐藤篤らに対し、右情報の提供を受けた報酬として現金五〇万円を供与し、もつて、その競走に関し賄ろを供与し、

二  前記第一記載の競走に関し、被告人佐野誠から、同被告人が騎乗して出走の予定の競走馬「スピードリキ号」の体調及び右競走の勝敗に関する同被告人の予想に関する情報を入手して、自己の勝馬投票を有利にしようと企て、昭和五五年一月二一日、被告人佐野から、前記第一記載のとおりの情報の提供を受け、同月二二日、同区大井一丁目五〇番二八号ホテル阪急前路上において、同被告人に対し、右情報の提供の報酬として現金二〇万円を供与し、もつて、その競走に関して賄ろを供与し

三  前記第二記載の各競走に関し、被告人岡部正道から、同被告人が騎乗して出走の予定の競走馬「マキバナノリ号」、「ユーエーコトブキ号」、「レボウエイト号」の体調及び右各競走の勝敗に関する同被告人の予想に関する情報を入手して、自己の勝馬投票を有利にしようと企て、同月二〇日、被告人岡部から、前記第二記載のとおりの情報の提供を受け、同月二三日、神奈川県川崎市川崎区堀ノ内四番地一トルコ姫付近路上において、同被告人に対し、右情報の提供の報酬として現金二〇万円を供与し、もつて、その競走に関して賄ろを供与し

たものである。

(弁護人らの主張に対する判断)

〈省略〉

三構成要件該当性について

1  被告人佐野の弁護人は、「騎手が具体的な競走に関して競走の結果を予測し、あるいは自己の騎乗する競走馬の体調に関する情報を提供し、その対価として金品を授受した場合であつても、競走それ自体がこのような行為とは無関係に行われることからすれば、通常は競走それ自体の公正ないしそれに対する社会の信頼を害するものとはいえず、本件のように、不正行為の話もなく、競走前に対価の収受がなされたり、あるいはその約束がなされたりすることもなく、かつ、情報提供の方法が特殊の合図によるものでない場合には、本件の如き情報が提供されたとしても当該競走に対する社会の信頼を害するものではなく、競馬法三二条の二前段、同条の四第一項の構成要件には該当しない。」旨、被告人岡部の弁護人は、「本件で被告人岡部が提供した情報は、競馬予想紙の予想とも合致する点が多く、その内容も特に重要なものではなく、かつ、本件においては、特別の合図による情報の提供でもなく、事前に金員授受の約束も存せず、不正行為も存しなかつたのであるから、競馬法三二条の二前段の規定の予想する構成要件的違法性を欠く。」旨、また被告人佐藤の弁護人は、「競馬は、他のモーターボート競走、競輪のように専ら選手の機械的操作によるものではなく、競走馬の能力、体調等が競走結果に影響を与えることからして不正行為を行うことは著しく困難であり、騎手らによる単なる競走馬の体調や勝敗の予想の提供それ自体によつては、当該騎手らが出走する具体的競走の公正に対する社会の信頼を害するものではないうえ、右の如き情報提供の対価として報酬を得ることは一種の慣行として行われていたことを考慮し、また競馬法三三条、二九条の法定刑の均衡からしても同法三二条の二前段、同条の四第一項の規定は、不正競走がらみの情報提供がなされ、その対価として賄うが収受された場合のみを予想しているものと解すべきである。」旨主張し、いずれも本件各行為が競馬法三二条の二前段、同条の四第一項の構成要件に該当しない旨主張する。

2  競馬法三二条の二前段、同条の四第一項の規定の保護法益は、競馬における競走の公正とそれに対する社会の信頼を確保することにあるところ、右各法条の規定する「その競走に関して」とは、同条所定の調教師、騎手、馬丁の職務の内容及び刑法上の贈収賄罪などにおける「その職務に関し」と規定されていないこととの対比からして、右調教師、騎手馬丁らが関与する「特定の具体的競走に関して」という趣旨に解される。そして、勝馬投票制度が人の射幸心に依拠し、払戻金という金銭上の利益に直結していることと、その勝馬投票制度が特に法律により認められる理由、競馬の実施主体の公的機関性、更には国の監督権の存在など競馬の公的側面を併せ考慮すると、競走の公正及びそれに対する社会の信頼を確保することは、極めて強い法の要請と解され、かつ、右調教師らがその職務上その関与する競走に極めて強い影響力を有していることからすると、右「特定の具体的競走に関して」とは、単に、競走について不正行為をする旨約し、その対価が授受される場合のように、競走それ自体に直接関係ある場合に限定されるものとは解し難く、競走それ自体とは直接関係しない場合であつても、右調教師ら競走に関与する者らの職務内容との関連において、それらの者が関与する特定の具体的競走の公正及びそれに対する社会の信頼を害するものであるか否かという観点から検討すべきものと解される。そこで以下本件事案に則して検討するに、騎手が自己の騎乗予定の競走馬の体調やその競走の結果を予測し、いわゆる勝馬を選ぶについて予想などの情報を提供することと競走それ自体とは本来直接関係がないことは弁護人らが指摘するとおりであり、また、騎手が右の如き情報を提供し、その謝礼として金品を受領したとしても、それにより直ちに競走の公正が害されるとはいえない場合(例えば、報道機関に対し、報道目的のために右情報などを提供し、その謝礼として社会的相当の範囲の金品を受領する場合など)があるとしても、競走馬の体調を十分に知悉し、また競走においてその結果を左右すらできうる立場にある騎手において、自己が騎乗予定の競走馬の体調あるいは当該競走の勝敗の結果の予想などの情報を、特定の勝馬投票をしようとする者に提供し、その対価として利益の供与を得た場合には、社会通念上、その競走の結果に多大の疑惑を生じさせ、その公正に対する社会の信頼を害することは極めて明白であり、右騎手の行為は、なお、前記各法条にいう「その競走に関し」賄ろを収受した場合に該当するものと解するのが相当である。そして、この場合に、右情報提供について、その方法が特殊の合図によらなければならないとか、あるいは事前に賄ろ提供の申込み、要求あるいは約束がなされた場合に限られるものではないと解される。なお、騎手がその出走予定の競走に関し前記の如き情報を馬主あるいは勝馬投票をしようとする一般人に提供し、その対価として金品を受領することが競馬界において慣行として認められていたことを認めるに足る証拠は全くなく、かえつて、関係証拠によれば、被告人佐野、同岡部は騎手において右の如き情報の提供を禁止されていることは再三にわたつて指導され、これを十分に知悉し、かつ、それに反して対価として利益を得ることは騎手の一つの職業上の倫理に反するものとの認識を有し、他方被告人佐藤も勝馬投票をしようとする者として、右の如き行為が違法である旨を認識していたことが認められる。

以上によれば、本件被告人三名の判示各所為が前記各法条に該当することは明らかであるが、なお弁護人らの主張の趣旨に照らし、本件被告人三名の行為の可罰的違法性について付言するに、被告人佐野、同岡部の同佐藤に対する判示情報等の提供行為は、当該競走に関し、勝馬投票をしようとする特定の者に対し、同人に利得を得させる目的で、電話という秘密性の高い方法により情報等を提供したものであるうえ、その内容は判示のとおり極めて具体的であり、更にその提供した時期は被告人佐野、同岡部においてはいずれもジョッキールームで待機し、外部の者との接触を本来禁止されている時期であつたこと、また、右被告人両名と同佐藤の間においては、本件の情報提供をした対価としての利益の供与があらかじめ約束されていたものとは認められないものの、関係証拠によれば、被告人佐野は、以前から同佐藤に同様の情報を提供し、これに対し遊興等の接待を受けたり、一〇万円の謝礼を受けたことがあり、また、着順予想をパドックで知らせるための合図を取決めたり、更には本件二〇万円を何らちゆうちよすることなく唯唯諾諾として受領していること、また被告人岡部も、従前から同佐藤に本件同様に情報等を提供し、二〇万円の謝礼を得たことがあるほか、本件においても若干のちゆうちよを示したものの受領したうえ、その後も情報提供を求める趣旨であることを知りながら相当額の物品の交付を受けていることがそれぞれ認められるのであつて、被告人佐野、同岡部において本件情報の提供をその対価としての利益の供与を全く考慮せず、専ら好意によつて行つたものではなく、むしろ、当初から対価提供行為がなされればそれを容認する意図であつたと認められることなど、以上の諸事情を総合すれば、本件被告人三名の各所為が可罰的違法性の欠くものとは到底解されない。

また、競馬法三三条、二九条の規定は、騎手らにおいて自己が関与する競走の如何を問わずに、一定の範囲での勝馬投票券を購入することを禁じ、それに違反した場合には一律に処罰するという、いわゆる形式犯の処罰に関する規定であり、その法定刑との比較から本件の如き情報等の提供に対する賄ろは処罰の対象とならないと解することはできない。

四以上のとおりであるから、弁護人らの前記各主張は採用できない。〈以下、省略〉

一  併合罪加重(被告人佐藤につき)

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第三の一の罪の刑に加重)

一  刑の執行猶予 刑法二五条一項

一  追徴(被告人佐野、同岡部につき)

競馬法三二条の三後段

一  訴訟費用(被告人佐野につき)

刑事訴訟法一八一条一項本文(負担)

よつて、主文のとおり判決する。

(吉原耕平)

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